はじめに

平日夜の貴重な自由時間をこんな駄文の執筆に割いていることの是非はともかく、私は元気でやっています。
誰に宛てたわけでもない生存報告記事ですが、同じく誰かに宛てたわけではない創作物を8月は割とコンスタントに出せていた気がするのでその振り返りをします。

5限には出たほうがいい

3日投稿。月初で投稿にありつけた作品ですが、どんな感じに書いていたか忘れてしまいました。備忘録なのに忘れてどうする。ほとんど日記帳みたいに使っている某所は検索性がよいとは言えず、たった1か月前ですが当時のことは闇のなかです。
某所の各チャンネルやTwitterの大学垢などなど、日記みたいな呟きを色んなところでするのはやっぱりあんまよくないですね。Twitterの本垢を爆破する少し前、その手のぼやきをGoogle Keep一本に書き連ねていた時期があったのですが、そういうものを再び作る頃合いなのかもしれません。
LINEのおひとりグループをそれにしようとしていた期間もあったのですが、なかなか定着せず。そもそも公開するつもりはないのでおひとりmisskeyサーバーはもとより、セルフホストの日記サービスみたいなものも自宅サーバーの入れ替えとかで吹っ飛びそうでこわい。秘伝のたれみたいなノリでDBを引き継げればよさそうですが。

さて、作品自体の話に移りましょう。
workflowyのネタ帳によると、プロットが生まれたのは去年・25年の9月末。本文や説明文に書いてあるように大学のゼミ終わりの実体験が元になっており、プロットがネタ帳に書き込まれたのはその実体験の直後でした。
と言っても書き込んだのは作品のタイトルただ一文だけでした。けれども当時の体験や思いついた抜けるシチュエーションはそれに埋め込まれていて、見返すたびに書こう書こうと思ってはいたのです。
執筆にはそんなに時間はかかっていなかったはず。6月のtnmtmr小説を皮切りに7月から月2投稿に成功していて、その勢いで書いていた覚えがあります。

けれども投稿後の手ごたえはあまりよろしくありません。筆は乗ってたのに伸びねえのかよみたいなノートを某所でしていたのを思い出しました。
承認欲求にまみれている人間なのでそういうことを言いますが、7月頭のburmちゃんよりは伸びてるので一安心。去年秋に投稿後一晩で消した幻の作品以降、数字が伸びないことに恐怖を覚えていたからこその投稿間隔の開きだったので、むしろこれらの作品たちのおかげで「いやこれ抜けねえだろ」と筆を折りそうになる作品も臆せず投稿する気にさせてくれます。

一応てきとうに要因を考察してみると導入とかなのかしら。でも現実改変ものって大体こういう強引な入りじゃないですか? 貞操観念逆転というものが上手く書けず冷ややかな目で見られている説はあります。そもそも初参入のタグでしたし。
それらを差し置いて、「主人公自身が身体とかを改変されないと伸びないのかも」という危機感はかなりありました。1作前のあんま伸びてないのもそうなのは置いといてtnmtmr、なんたってこれまでの作品にも共通しています。そのため翌週に出した作品はこれをかなり意識していたりします。

余談として小説サムネイルの話をしましょう。
これは春に卒業した母校の大学のサークル棟です。大学の人ならすぐに分かるんじゃないでしょうか。OBに特殊性癖変態野郎がいる事実を噛みしめ震えて寝てください。
そもそも大学時代の大半は創作活動をしていなかったので当然ですが、このサークル棟は過去作品ではtnmtmrくらいにしか出てきません。けれどもこの棟に部室を持つ団体に3つも加入していた人間としては、本当に思い入れのある場所です。ラウンジのプリンターはまだ壊れてるのかな。

5限には出たほうがいい のサムネイル

クリアブックの中には

11日投稿。なんとこれはworkflowyのネタ帳に記載がありません。なんということだ!
本文冒頭の記述は事実で、たまたま撮っていた写真を見るに23年3月の定演明けの大掃除が元ネタだと思います。これも月2投稿、なんなら8月は毎週投稿できるんじゃないかと息巻いていた頃なので執筆期間は短く、忘れ去れていたプロットを拾い上げた形の執筆になります。
選定理由は前述したように、主人公が変化していくシチュエーションというところにありました。と言っても紆余曲折を経て作中の主人公は認識阻害を受けてもらうことになったので、「自身の変化を主観で述べる作品が伸びるんじゃないか」という目論見は外れています。無自覚というか、この手の要素が流行ってそうだったのでつい入れてしまったのです。

クリアブックはなんて呼べばいいのか分からなかったので便宜上そう表現していますが、とりあえず伝わってはいそうでよかったです。なお、後半の架空講義名のオンパレードは伝わると思って書いてません。

投稿後の反応についてですが、結局のところ伸びたら「腕を取り戻してきたな」と調子に乗り、伸びなかったら「あれはあんまり本気で書いてなかったんだ」とsageるので、そこに投稿前の達成度や自信というものはありません。今回はたまたま前者だったというだけです。
なるたけ前者を量産できるといいのですが……。

サムネは久しぶりにpixivで用意されているものを使いました。 件の黒いクリアブックを映した写真はありませんし、今から撮ろうにも実家にあるのでほぼ不可能だったのです。
もともと信じておらず自由にやってましたが、「オリジナルのサムネじゃないと伸びない」なんてジンクスはこれで打ち破られましたし、逆も然り。むしろ何が小説の評価を決める変数になっているか、いまだに分かっていません。

URBAN

31日投稿。合作を含めると4か月ぶり、単作ではおよそ1年半ぶりの下車作品になります。その合作もたまたま見つけた公募に殴り込ませていただいただけなので、25年から今の今まで下車での活動は停滞していると言ってよいでしょう。
素材はさらに前、24年3月改正で上りが全廃となった快速アーバンなので、何もかもが埃を被っています。しかもまともに取材をしたのは1日だけ。越してきたというのに大宮~赤羽あたりの素材にすら困窮していたのは、まさに哀れと言って過言ではないです。
おかげで編集の腕も鈍りに鈍り、たまたま思いついたテレビ風や電GO風、ほかの下車作者様の作品のパクリを除けばワンパターンな構成で、その辺りの訴求力もありません。

これらの事実はただ一つ。下車作者としての私の活動は、そろそろ潮時なのかもしれないということを示していました。

あと数分待てば9月というタイミングでなぜか世に放ち、ちゃんと待った某作品に執筆時点でダブルスコアを上回る差を付けられ、そもそも全体のアクティブユーザーが落ちているように感じざるを得ない下車界隈で、この先も下車を作り続ける意味はあるのでしょうか。
中高大とずっと、お金や時間の制約を受けながらもがむしゃらに動画を作っていた頃の自分とは大違いで、フルタイム労働はあれどある程度のお金と時間の自由を手に入れた自分が生み出した作品は、当時思い描いていた「このまま下車を作り続けた未来の私の作品」とは程遠いのです。
こうした考えは、下車を投稿していることが割とアイデンティティになっていたこれまでの私にとっては深刻で、同じように伸びが芳しくないトウェアトにも、特殊性癖小説にも、下車の代わりとして私の居所になってくれるようには到底思えませんでした。

そうしたブルーな気持ちを吹き飛ばしてくれたのが、投稿から1日あまりで動画に付いた「いいね!」でした。数字では負けていたとしても、実際にいいねをしていただいた方のお名前は、懐かしさや嬉しさとともに、作品を作ってよかった・これからも作りたいという気分にさせてくれました。
多くの人に届かなくても、あなただけ振り向いてもらえればそれでいい的な話ですが、再生やいいねをはじめ各種反応をした人の立場に立ってみると本当にその通りだと思うので、数なんて追い求めてないで一回一回の再生やコメント、いいねやマイリスなどなどを大切にしていきたい所存です。実現にはもうちょっとかかりそうですが。

動画制作中に浦和の素材が足りないことに気付き、そばにあったレシートを撮影する図