最近気づいたこととして、私は乗り物が好きだということを挙げることができる。

私はX(当時はTwitter)を始めてから今日に至るまで、鉄道好きのコミュニティに籍を置いてきた(ただし2023年の春にアカウントを消したため、今となっては籍を置く場所自体がない)。しかし私は、定期的な鉄分の摂取(月に数回の鉄道を使ったお出かけ、あるいは車内・駅構内で突如としてレコーダーやカメラを構えるなどの行為)をしないことに対し、何か虚脱症状を覚えることはない。すると嬉しい程度で、基本的に休日は家の中だ。

鉄道以外を挙げると、自動車や自転車での移動は好きだ。目的でなく手段として、という言葉を付け加えなければならないが、一晩を棒に振って片道GOで名古屋〜東京間を下道で移動することを苦と思わないから、往々にして手段の内容がとち狂ってることがある。

かといって経市町村マップを作成し、一つでも多くの市町村を黄色や赤に塗ることに悦びを感じるわけではないので、所謂移動オタクでもないと考えられる。

そんな微妙なオタクである私だが、この半年の間、大学周辺の足としての自転車を手放す生活をしていた。今回、ついにそこから脱却し、榛名颪(赤城颪かもしれない)と正面から向き合うことにしたため、ここに記しておく。

結論からいえば、今回の修理によって私が自転車とともに春名颪に向き合うことはなかった。さらに向こう半年放置されることになる自転車は、この前のGWの90km超えサイクリングを経てようやく生活の足としての役割を取り戻すのだが、これは別の機会に書くことにする。

2025年11月。ある祝日授業日のこと。

微妙な時間帯にゼミが終わり、私は帰宅経路上で少なくとも20分を持て余すことになった。今考えると大したことのない長さだが、その時の私は両輪がパンクして以来放置していた自転車のことを思い出していた。

その自転車は大学1年のおおよそ晩春と言える時候に買ったもので、それから3年間、駅から大学への足としてこき使ったママチャリだ。飲み屋に漕いで向かい、駅まで押して帰るなんてこともたくさんあった。

ある教室棟の青空駐輪スペースに停められたそれは、この半年間に二度様子を見に行ったときよりもひどいことになっていた。 サドルには推定鳥の落とし物らしき円状の白が付いていて、今ギアがいくつになっているかを示す窓は無数で微小なひび割れによって真っ白になっていた。

水筒の中身をサドルにかけ、今日はこのハンカチをもう使ってはならぬと胸に刻みつつ拭いてやると忌々しい白は消えてなくなった。創作物では近くに水がないときにペットボトルのミネラルウォーターを使って汚れを落とすみたいな描写があるが、水筒の中身は水道水なのでケチな私の心は守られた。

雨風に晒され錆びついた鍵穴には再び苦戦させられたものの、パンクした時の特有の音を立てながら自転車は半年振りに動き出したのだった。

この自転車がパンクしたのはいつのことだっただろうか。確か今年の6月くらいだった気がする。
そこから放置しているわけだが、大学へは自転車に乗らずとも最寄り駅から30分歩けば辿り着くことができる。何ならこのエリアで一番でかい駅から15分ほど路線バスに揺られるだけでもよい。

21時の練習終了と同時に部活を飛び出て終電に乗り、翌日の1限のために死んだように眠る──そんな生活を通すため毎日自転車を酷使していた頃とは違い、大学は週1回のゼミのためだけに行くものになった今、自転車の必要性はそう高くない。

どうしてこんな時期に自転車を直そうと思ったか。それは最寄り駅までやバスの運賃が惜しかったからに他ならなく、流石にそれらより自転車そのものと修理代金の方がトータルで安くつくだろうという貧乏性なりの考えだった。

大学のすぐ裏を流れる川の遊歩道に沿って自転車を押す。目的地は上述したでかい駅のある中心市街地の自転車修理店だ。

その店は私がまだ駅前の市営駐輪場を使っていた時、一般通過画鋲ぶっ刺しマンか何かに自転車をやられ、駐輪中だったんですけどと受付に文句を言いに行ったときに紹介してもらったものだ。
シルバー人材センターのおじちゃんたちの口から出るにふさわしい、昔からの商店街に入る小さなお店で、以降パンクした自転車を持っていくのはその店になった。

夕方の18時過ぎ。
大学から河川敷をおよそ1時間歩いて辿り着いたその自転車屋は、シャッターが閉まっていた。

貼ってある紙は本日休業。まずったな。

まさか週1のゼミの日に臨時休業を引くとは。
今日は中心市街地まで自転車を持って来れただけよかったということにしておこう。月曜定休になったのならそう書くだろうし、また来週直せばいいだろう。

そう思い、パンクしたままの自転車を押して1本向こうの商店街の“駐輪場”に向かう。この時の私には、その行為に覚える罪悪感などあるはずがなかった。

駐輪場の入口は、工事用の防音壁で完全に覆い隠されていた。

最初は半年間で周囲の建物が若干変わって入口を見失ったのかと思った。けれども塞がれた入口には「XXデパート」の看板が残っていて、素振りには出ずとも動揺してしまう。

なぜなら、見る人が見れば今の私は「駐輪場を不正に使おうと自転車を押してのこのこやってきた違反者」以外の何者でもないからである。

そう、この駐輪場は誰でも自由に利用できるものではなかったのだ。看板の通り、この商店街やデパートを利用しに来た人に開放している場であって、決して駅近だからと有料駐輪場の代わりとして使ってはならないのである。

ただ、これまでルールを犯して使い倒していた大学生がしょっ引かれない程度には不正利用が横行していたようだ。そのうえ端っこを見れば朽ちかけの放置自転車、どこのピザ屋のものかも分からない白原付がスペースを圧迫し、残りの空間で男がタバコを吸っている、無法地帯といえるような場所だったのも確かである。

けれども、それらは違法行為を1ミリたりとも正当化してくれない。

すなわち私は悪人なのである。
今日日、鉄分摂取のための駅や車内の録音行為もやり辛くなってきているなか、私はそんな生ぬるいものではなく迷惑撮り鉄と同じような違法行為を犯していたのだ。

加えて、半年前まで私と同じように不正利用していた共犯者たちの自転車はどこにもない。放置自転車とあわせてどこかに持っていかれたのだろうか。

流石に猶予を設けて撤去したのだろうが、半年間こちらに顔を出していなかった私には意味がない。もし、今ハンドルを握っているこの自転車を大学でなくこの駐輪場で放置していたら。
それはそれで違反者にはお似合いの罰かもしれなかったけれど。

かくして私は駐輪場を不正利用していた罰として、「今日自転車を置いておける場所を必死こいて探す」ことになった。

毎月お金を払って──路線バスの往復運賃3日分で元が取れる驚異的な低価格であったが、かつて利用していた市営駐輪場に舞い戻る選択肢はもはやなかった。

なぜならデパートの駐輪場が使えると分かったその当月に、利用停止手続きもせずにバックレてしまったからだ。きっと見覚えのある顔、名簿に残る名前と未払いの記録。おそらく駐輪実態がないため請求が来ていないだけで、今更戻ってきた滞納者に向けるおじちゃんたちの顔は想像したくなかった。

それに次の利用は来週の月曜なのだから、日ぎめで止められないことがそのほかの駐輪場に行くという選択肢も遠ざけた。これから大学に戻って自転車を置いて帰るのは圧倒的に面倒だった。

一度「遵法する」という道を外れると、違法な行為を重ねなければならない状況に追い込まれる。

そんな、犯罪者の心理が理解できるような気がした。理解したくなかったけど。

けれども、とにかく自転車を置いておける場所を見つけなければならない。

公園の端っこなんかはバレなそうだが、数か所巡っても放置自転車が1台もない。自治会の防犯パトロールですぐに持っていかれてしまうのだろうか。

橋の下の河川敷、人通りの少ない高架道路の歩道・・・・・・それらしいところを巡ってみるも、やはり1台も自転車がないところに放置するのは怖い。まあ2台あろうが放置自転車回収の目に留まればそれまでなんだけど。

違法行為の尻ぬぐいのために違法行為をしようと場所を見定める、という堕ちるところまで堕ちた行動を始めてから1時間余り。

見つけたのは住宅に囲まれた小さな公園だった。

ツタの生い茂る公園のフェンスに沿っておよそ10台ほどの自転車が止まっていて、木を隠すなら森の中ではないが、これだけ放置されていれば止めておいても怒られないだろうと、犯罪者思考に染まってしまった私は喜んだ。

余談だが、ここは実際のところ放置自転車の温床というわけではなく、公園と路地を挟んで向かいにあるアパートには周囲の建物の密集度もあって凡そ駐輪スペースと呼べる場所がなく、この自転車のうち数台は入居者が自転車を使うために仕方なく置いているようだった。

夜間とはいえ駅からほど近い住宅地、周囲に人がいないタイミングを見計らって自転車を止め、私は数時間来の自転車の呪縛から解き放たれたのだった。

1週間後、その公園には変わらず放置自転車が並んでいて、私の自転車も無事に回収することができた。

件の自転車屋は今日も休業らしい。マップの口コミ曰く数か月前からずっとシャッターが閉まっているそうなので、幾度となく直してくれたあのお店でこの自転車を直してもらうことは、もう叶わないだろう。

公園を出てしばらく下ると、大学に続くあの河川敷に出る。その入口には別の自転車屋があって、かつてそうしていたように事前に電話を1本入れてから向かって自転車を見せると、夕方までには直してもらえるとのことだった。

それまで大学への足として貸してもらった代車は愛車の数倍軽快で、久方ぶりに自転車を漕ぐ楽しさを思い出した。

住宅地を縫うルートで大学に向かうと途中には踏切があって、しっかり手前で停止してから通過する。交通ルールは自転車でもクルマでも守るようにしている。とくに自転車で真面目に一時停止していると、後ろから減速すらしない自転車に抜かされることがあり面白いからだ。

こうして考えてみると、傍から見ればしっかりあるように見えなくもない私の遵法意識は、とんでもなく軽薄なのかもしれなかった。